殺人事件が起きて田村正和が出てきそうだった
どのグラフを使えばいいかを1枚の画像にまとめてみた…の図を日本語化してみた - 適宜覚書はてな異本
溜まりに溜まったブックマークを整理中。
特に、仕事に使えそうなチートシートを整理しておくのだ。。あとで拡大して見る。
Zaurus (SL-C860)に、Ångström distribution (カーネル2.6.24ベース)をインストール。
その上に、Debian GNU Linuxをインストールしてみることにした。
その前に、Zaurusで利用されているLinuxディストリビューションに、どのようなものがあるのか簡単に復習しておく。
- Cacko
Zaurusに元々載っているLinux環境との最大限の互換性を維持したQtグラフィックスシステムベースのアップグレードROM。現在、公開されていない模様。
- OpenZaurus
OPIE (Open Palmtop Integrated Environment; トロールテック製Qtopia環境からの派生)もしくはGPE (GPE Palmtop Environment; X windowベース)のGUIを利用できる。
- Ångström Distribution
- OpenEmbeddedやOpenZaurusの開発者たちが共同で取り組んでいるディストリビューション。
OPIEやGPEだけでなく、Enlightenment Window ManagerベースのGUI環境も開発中。2.6系列のカーネルも利用できる。
OpenZaurusの後継であるため、openzaurus-jaの成果も利用でき、openzaurus-jaもÅngströmを強く意識したサポートを展開している。
- pdaXrom
X windowとmatchbox / openboxベースのディストリビューション。
- Titchy Linux
Debian GNU Linuxベース。カーネル周りはÅngström distributionの成果を利用している。
インストールに必要なDebianパッケージのいくつかが、Lenny (Debian testing)の少し前のもので、Debian公式サイトには既に公開されていない。もちろん、この状況はいずれ改善されるであろうが、この記事の執筆 時点で、HDDを内蔵しないタイプのZaurusにはインストールが面倒そうな印象を受けた。(HDD内蔵タイプなら、Titchy Linuxの初期リリースのrootfsイメージが用意されている)。
- Debian GNU Linux
Debianには、debootstrapと いうツールが用意されており、unix環境があれば、それがDebianでなくても、そこに簡単にDebianをインストールできてしまう。つまり、リナ ザウへのインストールがとても簡単。chrootやpivot_rootコマンドを使って、もともとのLinux環境とDebian環境を切り替えられる ので、Zaurusのもともとの環境とDebianの共存ができ、両方の環境のアプリケーションを同時に利用するような方法を採ることもできる。もともと の環境側にX/Qt Serverをインストールしてあれば、Xアプリケーションも両方の環境から可能。
私がいまだに愛用しているZaurus (SL-C3200)もこの方法 … 本体はSharp ROM (カーネル2.4.20ベースLineo uLinux)、内蔵HDD (6GB)にDebian (etch)をdebootstrapインストール … を採っており、とても重宝している。
今回は、SL-C860本体にLinux 2.6.24カーネルをインストールし、4GB SDHCカードにDebian (lenny)をインストールする予定。
- Zubuntu
OmegaMoonさんが彼のブログで公開しているUbuntu on Zaurus。このブログの投稿時点での最新記事は、Zubuntu 1.0 update… (30 October, 2008, 07:45)。
- Poky
OpenEmbedded互換。GNOME Mobileをインテグレートしている。
- Android
Google Inc.が無償提供するモバイル・プラットフォーム。カーネルはLinux 2.6.23だが、アプリケーションはDalvik仮想マシン上で動くので、一般にイメージされるLinux環境とは大きく異なる。
- 通称 Sharp ROM
世代によって、Embedix、OpenPDA、Lineo uLinuxと採用されるディストリビューションが異なっているように見えるが、開発元の買収等を経て名前を変えていったもので、実質的には同じファミリー。
個人的には、MI-10の遊び心(時報が郭公時計だった)やMI-E1のUIがZaurusとしては最も使い易かったが、次々と登場する様々な周辺機器に対応するには、Linuxのような汎用OSへの移行はしかたのないことであったのであろう。
こうやって、あらためてリストアップしてみると、意外に多くのディストリビューションがZaurusに利用できるのに驚かされる。
どれも甲乙つけがたいが、開発メンバのアクティビティの高さがより安定した多くの機能を実現する要素のひとつと考えれば、
- アプリケーションの安定性: Debian GNU Linux
- Zaurusハード依存部分: Ångström Distribution
…というのは後付のもっともらしい理屈。実際は、Zaurus上にカーネル2.6系列のDebian環境が欲しいだけ。上にリストアップしたディス トリビューションのほとんどのZaurus用2.6系カーネルは、OpenEmbedded (≒Ångström)の成果だからというのが、ホンネ。
続く…
日本の電子書籍勢力相関図
某、電子書籍関連人から、日本の電子書籍勢力相関図いただきました。これ非常におもしろいし、今まで個々の関係でわけがわからなくなっていたものがうまく整理されています。本人から公開してもいいと了承をいただきましたので、公開します。
android 1.5+赤SIMでネット接続する方法。
APN設定で以下を設定して、MODEMアプリを
起動してconnectボタンを押す。
apn: emb.ne.jp
user: em
pass: em
mcc: 440
mnc: 10
使用確認できたのは、以下のアプリ。
・ブラウザ
・GoogleMap
ただし、以下の制限あり。
・Google系アプリは接続できない。
・Mobile Networkのリストに設定したAPNが出てこない
(ただ設定は一応覚えているので問題なし)
・たまにAPN設定が消えるけど、そのときは再設定
参考:
mcc android s11ht でググる。
| — | 【EMOBILE】EMONSTER (S11HT) Part30【芋星】 (via renaphy) |
忘れもしない今年の5月18日。 武蔵野赤十字病院、循環器科の医師から次のような宣告を受けた。 「膵臓ガン末期、骨の随所に転移あり。余命長くて半年」 妻と二人で聞いた。二人の腕だけでは受け止められないほど、唐突で理不尽な運命だった。 普段から心底思ってはいた。 「いつ死んでも仕方ない」 とはいえあまりに突然だった。
確かに兆候はあったと言えるかもしれない。その2~3ヶ月前から背中の各所、脚の付け根などに強い痛みを感じ、右脚には力が入らなくなり、歩行にも大きく困難を生じ、鍼灸師やカイロプラクティックなどに通っていたのだが、改善されることはなく、MRIやPET-CTなどの精密機器で検査した結果、いきなりの余命宣告となった次第である。 気がつけば死がすぐ背後にいたようなもので、私にはどうにも手の打ちようもなかったのだ。
宣告の後、生き延びるための方法を妻と模索してきた。それこそ必死だ。 頼もしい友人や強力この上ない方の支援も得てきた。抗ガン剤は拒否し、世間一般とは少々異なる世界観を信じて生きようとした。「普通」を拒否するあたりが私らしくていいような気がした。どうせいつだって多数派に身の置き所なんかなかったように思う。医療についてだって同じだ。現代医療の主流派の裏にどんなカラクリがあるのかもあれこれ思い知った。 「自分の選んだ世界観で生き延びてやろうじゃないか!」 しかし。気力だけではままならないのは作品制作とご同様。 病状は確実に進行する日々だった。
一方私だって一社会人として世間一般の世界観も、半分くらいは受け入れて生きている。ちゃんと税金だって払ってるんだから。立派には縁遠いが歴とした日本社会のフルメンバーの1人だ。 だから生き延びるための私的世界観の準備とは別に、 「ちゃんと死ぬための用意」 にも手を回してきたつもりだ。全然ちゃんと出来なかったけど。 その一つが、信頼のおける二人の友人に協力してもらい、今 敏の持つ儚いとはいえ著作権などの管理を任せる会社を作ること。 もう一つは、たくさんはないが財産を円滑に家内に譲り渡せるように遺言書を作ることだった。無論遺産争いがこじれるようなことはないが、この世に残る妻の不安を一つでも取り除いてやりたいし、それがちょいと向こうに旅立つ私の安心に繋がるというもの。
手続きにまつわる、私や家内の苦手な事務処理や、下調べなどは素晴らしき友人の手によってスピーディに進めてもらった。 後日、肺炎による危篤状態の中で、朦朧としつつ遺言書に最後のサインをしたときは、とりあえず、これで死ぬのも仕方ないと思ったくらいだった。 「はぁ…やっと死ねる」 なにしろ、その二日前に救急で武蔵野赤十字に運ばれ、一日おいてまた救急で同じ病院へ運ばれた。さすがにここで入院して細かい検査となったわけだ。結果は肺炎の併発、胸水も相当溜まっている。医師にはっきり聞いたところ、答えは大変事務的で、ある意味ありがたかった。 「持って…一日二日……これを越えても今月いっぱいくらいでしょう」 聞きながら「天気予報みたいだな」と思ったが事態は切迫していた。 それが7月7日のこと。なかなか過酷な七夕だったことだよ。
ということで早速腹はきまった。 私は自宅で死にたい。 周囲の人間に対して最後の大迷惑になるかもしれないが、なんとしてでも自宅へ脱出する方法をあたってもらった。 妻の頑張りと、病院のあきらめたかのような態度でありつつも実は実に助かる協力、外部医院の甚大な支援、そして多くの天恵としか思えぬ偶然の数々。 あんなに上手く偶然や必然が隙間なくはまった様が現実にあるとは信じられないくらいだ。「東京ゴッドファーザーズ」じゃあるまいし。
妻が脱出の段取りに走り回る一方、私はと言えば、医師に対して「半日でも一日でも家にいられればまだ出来ることがあるんです!」と訴えた後は、陰気な病室で一人死を待ち受けていた。 寂しくはあったが考えていたのはこんなこと。 「死ぬってのも悪くないかもな」 理由が特にあるわけもなく、そうとでも思わないといられなかったのかもしれないが、気持ちは自分でもびっくりするほど穏やかだった。 ただ、一つだけどうしても気に入らない。 「この場所で死ぬのだけは嫌だなぁ…」 と、見ると壁のカレンダーから何か動き出して部屋に広がり始めるし。 「やれやれ…カレンダーから行列とはな。私の幻覚はちっとも個性的じゃないなぁ」 こんな時だって職業意識が働くものだと微笑ましく感じたが、全くこの時が一番死の世界に近寄っていたのかもしれない。本当に死を間近に感じた。 死の世界とシーツにくるまれながら、多くの人の尽力のおかげで奇跡的に武蔵野赤十字を脱出して、自宅に辿り付いた。 死ぬのもツライよ。 断っておくが、別に武蔵野赤十字への批判や嫌悪はないので、誤解なきよう。 ただ、私は自分の家に帰りたかっただけなのだ。 私が暮らしているあの家へ。
少しばかり驚いたのは、自宅の茶の間に運びこまれるとき、臨死体験でおなじみの「高所から自分が部屋に運ばれる姿を見る」なんていうオマケがついたことだった。 自分と自分を含む風景を、地上数メートルくらいからだろうか、ワイド気味のレンズで真俯瞰で見ていた。部屋中央のベッドの四角がやけに大きく印象的で、シーツにくるまれた自分がその四角に下ろされる。あんまり丁寧な感じじゃなかったが、文句は言うまい。
さて、あとは自宅で死を待つばかりのはずだった。 ところが。 肺炎の山を難なく越えてしまったらしい。 ありゃ? ある意味、こう思った。 「死にそびれたか(笑)」 その後、死のことしか考えられなかった私は一度たしかに死んだように思う。朦朧とした意識の奥の方で「reborn」という言葉が何度か揺れた。 不思議なことに、その翌日再び気力が再起動した。 妻を始め、見舞いに来て気力を分け与えてくれた方々、応援してくれた友人、医師や看護師、ケアマネージャなど携わってくれている人すべてのおかげだと思う。本当に素直に心の底から。
生きる気力が再起動したからには、ぼんやりしているわけにはいかない。 エクストラで与えられたような命だと肝に命じて、大事に使わねばならない。 そこで現世に残した不義理を一つでも減らしたいと思った。 実はガンのことはごくごく身の回りの人間にしか伝えていなかった。両親にも知らせていなかったくらいだ。特に仕事上においては色々なしがらみがあり、言うに言えなかった。 インターネット上でガンの宣言をして、残りの人生を日々報告したい気持ちもあったのだが、今 敏の死が予定されることは、小さいとはいえ諸々影響が懸念されると思えたし、それがゆえに身近な知り合いにも不義理を重ねてしまっていた。まことに申し訳ない。
死ぬ前にせめて一度会って、一言でも挨拶したい人はたくさんいる。 家族や親戚、古くは小中学校からの友人や高校の同級生、大学で知り合った仲間、漫画の世界で出会い多くの刺激を交換した人たち、アニメの世界で机を並べ、一緒に酒を飲み、同じ作品で腕前を刺激しあい、楽しみも苦しみも分け合った多くの仲間たち、監督という立場のおかげで知り会えた数知れないほどたくさんの人びと、日本のみならず世界各地でファンだといってくれる人たちにも出会うことが出来た。ウェブを通じて知り合った友人もいる。
出来れば一目会いたい人はたくさんいるが(会いたくないのもいるけれど)、会えば「この人ともう会えなくなるんだな」という思いばかりが溜まっていきそうで、上手く死を迎えられなくなってしまいそうな気がした。回復されたとはいえ私に残る気力はわずかで、会うにはよほどの覚悟がいる。会いたい人ほど会うのがつらい。皮肉な話だ。 それに、骨への転移への影響で下半身が麻痺してほぼ寝たきりになり、痩せ細った姿を見られたくもなかった。多くの知り合いの中で元気な頃の今 敏を覚えていて欲しいと思った。 病状を知らせなかった親戚、あらゆる友人、すべての知人の皆さん、この場を借りて不義理をお詫びします。でも、今 敏のわがままも理解してやっていただきたい。 だって、「そういうやつ」だったでしょ、今 敏って。 顔を思い出せば、いい思い出と笑顔が思い起こされます。 みんな、本当にいい思い出をたくさんありがとう。 自分の生きた世界を愛している。 そう思えることそのものが幸せだ。
私の人生で出会った少なからぬ人たちは、肯定的否定的どちらであっても、やっぱり今 敏という人間の形成にはどこか必要だっただろうし、全ての出会いに感謝している。その結果が四十代半ばの早い死であったとしても、これはこれとして他ならぬ私の運命と受け止めている。いい思いだって随分させてもらったのだ。 いま死について思うのはこういうこと。 「残念としかいいようがないな」 本当に。
しかし、多くの不義理は仕方ないと諦めるにせよ、私がどうしても気に病んで仕方なかったことがある。 両親とマッドハウス丸山さんだ。 今 敏の本当の親と、アニメ監督の親。 遅くなったとはいえ、洗いざらい本当のことを告げる以外にない。 許しを乞いたいような気持ちだった。
自宅に見舞いに来てくれた丸山さんの顔を見た途端、流れ出る涙と情けない気持ちが止めどなかった。 「すいません、こんな姿になってしまいました…」 丸山さんは何も言わず、顔を振り両手を握ってくれた。 感謝の気持ちでいっぱいになった。 怒涛のように、この人と仕事が出来たことへの感謝なんて言葉ではいえないほどの歓喜が押し寄せた。大袈裟な表現に聞こえるかもしれないが、そうとしか言いようがない。 勝手かもしれないが一挙に赦された思いがした。
一番の心残りは映画「夢みる機械」のことだ。 映画そのものも勿論、参加してくれているスタッフのことも気がかりで仕方ない。だって、下手をすればこれまでに血道をあげて描いて来たカットたちが誰の目にも触れない可能性が十分以上にあるのだ。 何せ今 敏が原作、脚本、キャラクターと世界観設定、絵コンテ、音楽イメージ…ありとあらゆるイメージソースを抱え込んでいるのだ。 もちろん、作画監督、美術監督はじめ、多くのスタッフと共有していることもたくさんあるが、基本的には今 敏でなければ分からない、作れないことばかりの内容だ。そう仕向けたのは私の責任と言われればそれまでだが、私の方から世界観を共有するために少なからぬ努力はして来たつもりだ。だが、こうとなっては不徳のいたすところだけが骨に響いて軋んだ痛みを上げる。 スタッフのみんなにはまことに申し訳ないと思う。 けれど少しは理解もしてやって欲しい。 だって、今 敏って「そういうやつ」で、だからこそ多少なりとも他とはちょっと違うヘンナモノを凝縮したアニメを作り得てきたとも言えるんだから。 かなり傲慢な物言いかもしれないが、ガンに免じて許してやってくれ。
私も漫然と死を待っていたわけでなく、今 敏亡き後も何とか作品が存続するべく、ない頭を捻って来た。しかしそれも浅知恵。 丸山さんに「夢みる機械」の懸念を伝えると、 「大丈夫。なんとでもするから心配ない」 とのこと。 泣けた。 もう号泣。 これまでの映画制作においても予算においても不義理ばかり重ねて来て、でも結局はいつだって丸山さんに何とかしてもらって来た。 今回も同じだ。私も進歩がない。 丸山さんとはたっぷり話をする時間が持てた。おかげで、今 敏の才能や技術がいまの業界においてかなり貴重なものであることを少しだけ実感させてもらった。 才能が惜しい。何とかおいていってもらいたい。 何しろザ・マッドハウス丸山さんが仰るのだから多少の自信を土産に冥途に行けるというものだ。 確かに他人に言われるまでもなく、変な発想や細かい描写の技術がこのまま失われるのは単純に勿体ないと思うが、いた仕方ない。 それらを世間に出す機会を与えてくれた丸山さんには心から感謝している。本当ににありがとうございました。 今 敏はアニメーション監督としても幸せ者でした。
両親に告げるのは本当に切なかった。 本当なら、まだ身体の自由がきくうちに札幌に住む両親にガンの報告に行くつもりだったが、病気の進行は悔しいほど韋駄天で、結局、死に一番近づいた病室から唐突極まりない電話をすることになってしまった。 「オレ、膵臓ガン末期でもうすぐ死ぬから。お父さんとお母さんの子供に生まれて来て本当に良かった。ありがとう」 突然聞かされた方は溜まったものではないだろうが、何せその時はもう死ぬという予感に包まれていたのだ。
それが自宅に帰り、肺炎の危篤を何とか越えて来た頃。 一大決心をして親に会うことにした。 両親だって会いたがっていた。 しかし会えば辛いし、会う気力もなかったのだが、どうしても一目親の顔を見たくなった。直接、この世に産んでもらった感謝を伝えたかった。 私は本当に幸せだった。 ちょっと他の人より生き急いでしまったのは、妻にも両親にも、私が好きな人たちみんなに申し訳ないけれど。 私のわがままにすぐ対応してくれて、翌日には札幌から両親が自宅についた。 寝たきりとなった私を一目見るなり母が言った言葉が忘れられない。 「ごめんねぇ!丈夫に産んでやれなくて!」 何も言えなかった。
両親とは短い間しか過ごさなかったが、それで十分だった。 顔を見れば、それですべてわかるような気がしたし、実際そうだった。
ありがとう、お父さん、お母さん。 二人の間の子供としてこの世に生を受けたことが何よりの幸せでした。 数えきれないほどの思い出と感謝で胸がいっぱいになります。 幸せそのものも大事だけれど、幸せを感じる力を育ててもらったことに感謝してもしきれません。 本当にありがとうございました。
親に先立つのはあまりに親不孝だが、この十数年の間、アニメーション監督として自分の好きに腕を振るい、目標を達成し、評価もそれなりに得た。あまり売れなかったのはちょいと残念だが、分相応だと思っている。 特にこの十数年、他人の何倍かの密度で生きていたように思うし、両親も私の胸のうちを分かってくれていたことだろう。
両親と丸山さんに直接話が出来たことで、肩の荷が下りたように思う。
最後に、誰よりも気がかりで、けれど最後まで頼りになってくれた妻へ。 あの余命宣告以来何度も二人で涙にくれた。お互い、身体的にも精神的にも過酷な毎日だった。言葉にすることなんて出来ないくらい。 でも、そんなしんどくも切ない日々を何とか越えて来られたのは、あの宣告後すぐに言ってくれた力強い言葉のおかげだと私は思っている。 「私、最後までちゃんと伴走するからね」 その言葉の通り、私の心配など追い越すかのように、怒濤のごとく押し寄せるあちらこちらからの要求や請求を交通整理し、亭主の介護を見よう見まねですぐに覚え、テキパキとこなす姿に私は感動を覚えた。 「私の妻はすごいぞ」 今さらながら言うな?って。いやいや、今まで思っていた以上なんだと実感した次第だ。 私が死んだ後も、きっと上手いこと今 敏を送り出してくれると信じている。 思い起こせば、結婚以来「仕事仕事」の毎日で、自宅でゆっくり出来る時間が出来たと思えばガンだった、ではあんまりだ。 けれど、仕事に没頭する人であること、そこに才能があることを間近にいてよく理解してくれていたね。私は幸せだったよ、本当に。 生きることについても死を迎えるにあたっても、どれほど感謝してもしきれない。ありがとう。
気がかりなことはもちろんまだまだあるが、数え上げればキリがない。物事にも終わりが必要だ。 最後に、今どきはなかなか受け入れてもらいにくいであろう、自宅での終末ケアを引き受けてくれた主治医のH先生、そしてその奥様で看護師のKさんに深い感謝の気持ちをお伝えしたい。 自宅という医療には不便きわまりない状況のなか、ガンの疼痛をあれやこれやの方法で粘り強く取り除いていただき、死というゴールまでの間を少しでも快適に過ごせるようご尽力いただき、どれほど助けられたことでしょう。 しかも、ただでさえ面倒くさく図体と態度の大きな患者に、単なる仕事の枠組みをはるかに越え、何より人間的に接していただいたことにどれほど私たち夫婦が支えられ、救われたか分かりません。先生方御夫婦のお人柄にも励まされることも多々ありました。 深く深く感謝いたしております。
そして、いよいよ最後になりますが、5月半ばに余命宣告を受けてすぐの頃から、公私に渡って尋常ではないほどの協力と尽力、精神的な支えにもなってくれた二人の友人。株式会社KON’STONEのメンバーでもある高校時代からの友人Tと、プロデューサーHに心からの感謝を送ります。 本当にありがとう。私の貧相なボキャブラリーから、適切な感謝の言葉を探すのも難しいほど、夫婦揃って世話になった。 2人がいなければ死はもっとつらい形で私や、そばで看取る家内を呑み込んでいたことでしょう。 何から何まで、本当に世話になった。 で。世話になりついでですまんのだが、死んだあとの送り出しまで、家内に協力してやってくれぬか。 そうすりゃ、私も安心してフライトに乗れる。 心から頼む。
さて、ここまで長々とこの文章におつき合いしてくれた皆さん、どうもありがとう。 世界中に存する善きものすべてに感謝したい気持ちと共に、筆をおくことにしよう。
じゃ、お先に。
今 敏
| — | NOTEBOOK »NOTEBOOK» ブログアーカイブ » さようなら - KON’S TONE (暫定用のCoral負荷分散アクセスリンク) NOTEBOOK »NOTEBOOK» ブログアーカイブ » さようなら - KON’S TONE (via otsune) |
東京高裁で審理された三国志III事件(プライム・ロー)における本件著作物(シミュレーションゲーム)は、出荷時において登場人物(既成君主、既成武将)ごとにその能力が、1から100までの範囲の数値で設定されているが、そのほかに、ユーザーが、データ登録用プログラムを用いて新たに登場人物(新君主、新武将)を作り出し、その能力値を設定することができるようになったものである。本件著作物の中には、ユーザーによる新君主、新武将の登録用ファイルとして「NBDATA」という名称のファイルが含まれ、また「NBDATA」中に能力値を書き込むためのデータ登録用プログラムが含まれるが、ユーザーがメモリー上に書き込める能力値を、1から100までとするチェックルーティンプログラムが含まれている。
これに対して、被控訴人(被告)のプログラムは、本件著作物に含まれる登録プログラムに代わる別個のプログラムで、チュックルーティンプログラムを含まないデータ登録用プログラムであり、新君主、新武将につきユーザーが100を超える能力値を設定することができるものである。この事件で主に争われたのは、(1)被控訴人(被告)プログラムは本件著作物におけるプログラムを改変するものか、(2)本件ゲームは映画の著作物又はゲームの著作物といえるのか、である。
(1)プログラムの改変か
東京高裁は、「NBDATA」自体はプログラムの著作物には当たらないとしている。確かに、「NBDATA」はプログラム言語で記述されているわけではなく、これだけを見るとデータファイルであり、著作権法2条1項10号の2のプログラムの定義には含まれない。しかし、プログラムはプログラム言語で記述されたコードだけから成るものではない。
ワープロを例にとると、ワープロを使って作成した文書、つまりユーザーファイルは、ユーザーがそのワープロを使って作成したデータファイルである。このようなデータファイルがプログラムの著作物でないことは明らかである。しかし、ユーザーファイルとは異なった種類のデータファイルもあるのである。例えば、最近のワープロソフトでは画面の上部のツールボックスに表示されたアイコンの設定を自由に変更することができる。変更後、ワープロを終了し、その後、再度立ち上げても、変更後のアイコンが表示される。これは、ワープロソフトの中にツールボックスに表示するアイコンを決めるデータファイルがあり、設定を変更すると、そのデータファイルの内容を変更し、ワープロのコード部分がそのデータファイルを読み取って、それに応じたアイコンを画面に表示しているからである。もちろん、ツールボックスに表示すべきアイコンをプログラムコードで記述することもできるが、プログラムコードで記述したのでは、設定変更は不可能である。このようなプログラムを動作させるためのデータファイルは、これを取り去るとプログラムとして正常に動作することができないのであるから、プログラムの一部と解釈するのが妥当であると考える。
したがって、この事件の場合、「NBDATA」もプログラムの一部と考えるべきであるが、「NBDATA」には最初は何も記載されておらず、ユーザーがある制限のもとに設定することができるように作成されたものであるから、これを制限を超えて設定することが、プログラムの著作物の同一性保持権、翻案権の侵害に当たるとはいえないと考えられる。
(2)映画の著作物又はゲームの著作物といえるか
次に、東京高裁は、静止画像が圧倒的に多いことを理由に、「本件ゲームは、映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現されているものとは認められず、本件著作物が、映画ないしこれに類する著作物に該当するということはできない。」と判示し、更に、「控訴人(原告)は、本件著作物の視聴覚的表現は、著作権法2条1項1号所定のゲームの著作物であると主張するが、著作権法にゲームの著作物そのものを定義づける規定はないので、本件著作物につき、ゲームの著作物であるとして著作権侵害行為の有無を判断することはできない」とした。
東京高裁は、著作権法にゲームの著作物が定義されていないことを根拠に、著作権侵害行為の有無の判断を避けたが、本件の争点は、映画の著作物に特有な上映権又は頒布権ではなく、どのような範疇の著作物であっても適用される同一性保持権及び翻案権である。そして、著作権法10条1項に例示された、
一 小説、脚本、論文、講演その他の言語の著作物はあくまでも例示であり、ここに例示されていなければ著作物でないというものでもない。例えば、「漫画の著作物」は著作権法10条1項には例示されてはいないが、「漫画」が著作物であり、著作権で保護されることは明らかである。また、プログラムの著作物が10条1項9号に規定されていなかった1982年に、スペースインベーダーパートII事件(夏井研)で、「本件プログラム(スペースインベーダーパートII)は、その作成者の独自の学術的思想の創作的表現であり、著作権法上保護される著作物に当たると認められる。」 とされてプログラムが著作物として保護された例もある。したがって、東京高裁は、ゲームソフトの絵と音で表現されたものが著作権法2条1項1号の「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」という定義に該当する著作物であるのかどうかを判断すべきであったのではないだろうか。
二 音楽の著作物
三 舞踊又は無言劇の著作物
四 絵画、版画、彫刻その他の美術の著作物
五 建築の著作物
六 地図又は学術的な性質を有する図面、図表、模型その他の図形の著作物
七 映画の著作物
八 写真の著作物
九 プログラムの著作物
時は過ぎ、2001年には興味深い訴訟が発生する。PlayStation用ゲームソフト「ときめきメモリアル」(ときメモ)の著作権侵害をめぐった、いわゆる「ときめきメモリアル事件」がそれだ。
ことの発端は、福岡市内のゲーム機器業者が販売したメモリーカード。ユーザーがこれを利用すれば、主人公の男子高校生の“能力値”(パラメータ)を変更することが可能で、それゆえに望みの女子高生と恋に落ちることができるというものだった。
「ゲームが下手で、それでも藤崎詩織ちゃん(編集部注:ゲーム内の登場人物)から愛の告白だけは受けたい、というユーザーにニーズがあった」(久保田氏)。しかし、このメモリーカードを販売する行為が、著作権侵害とみなされたのだ。
原告であるコナミの主張は、次のようなもの。「制作側は、苦心してゲームバランスを調整している。『ここで苦労してほしい』という意図を持って、道筋を考えているものを、ぶちこわされてしまうことになる。これを法的に規制できないだろうか、ということだった」(同氏)。
そして、最高裁は2001年2月13日に判決を下す。その内容は、メモリーカードの使用が「当該ゲームソフトを改変し、その著作者の有する同一性保持権を侵害する」というもの(記事参照)。久保田氏は、「メモリーカードが、専らゲームソフトの改変のみを目的とするものだった、という点もポイントになった」とコメントした。
政府が進めているe-Japan重点計画では、「2003年度までにインターネットの対象を、情報家電などパソコン以外の多様な機器に拡大する技術を開発し、2005年までにすべての国民が、場所を問わず、自分の望む情報の入手・処理・発信を安全・迅速・簡単に行えるIPv6が実装されたインターネット環境を実現する」と掲げられた。
電子自治体の世界でも、使い慣れた家電を利用して誰もがネットワークを利用できるサービスを提供するなど、デジタルデバイドの解消を実現する道具としても注目されている。
情報家電の利用イメージとして、テレビでメール、インターネットができ、テレビ番組への参加ができる。外出先から携帯電話でビデオの録画予約ができる。電子レンジでインターネットからレシピをダウンロードして、食品などを用意しておくだけで簡単に料理が作れるなどが挙げられている。
2007.06.15 pdaXii13デュアルブート環境構築手順
Zaurus
pdaXii13のデュアルブート環境構築手順をまとめてみました。
構築してから1ヶ月以上経っているにもかかわらず、実はあまり使えていないのですが、とりあえず普通に動作しています。
pdaXromの時のように別のLinuxマシンでrootfsを取り出したり、各種設定ファイルの編集や日本語化といった作業が減っているので、簡単に構築できると思います。
使用したのは、build5.3.6のfull版です。
また、例によってpdaXii13はSHARPが保障するものではありませんので、バックアップを取るなどして、あくまでも自己責任でお願いします。
1.パーティションの作成
pdaXii13をインストールするパーティションを作成します。
パーティションの作成方法については、以下を参照してください。
pdaXromのインストール(その1 パーティションの作成)
2.ファイルのダウンロード
デュアルブート環境を構築するのに必要な、以下の2つのファイルを取得します。
・init.bz2
・Dual_C760.zip
init.bz2はぴろさんのざう日記から、Dual_C760.zipはこちらからダウンロードします。
また、Dual_C760.zipにはgtarのipkファイルが入っていますので、これをインストールします。
また、pdaXii13のインストールイメージをpdaXii13 for Zaurus SL-C3000からダウンロードします。
今回使用したのはFull版のhdimage-full.tgzです。
3.hdimage-full.tgzの展開
1.で作成したパーティション(/dev/hda4)を/hdd4にマウントし、ダウンロードしたhdimage-full.tgzを展開します。
まずは/ファイルシステムを書き込みできるようにマウントしなおして、マウント・ポイント(/hdd4)を作成し、マウントします。
bash-2.0$ su -
# mount -o rw,remount /
# mkdir /hdd4
# mount -o ro,remount /
# mount -t ext3 -o noatime /dev/hda4 /hdd4
ダウンロードしたhdimage-full.tgzを/hdd4に展開します。
hdimage-full.tgzは/hdd3/Documentsにあるものとして、以下のコマンドを実行します。
# cd /hdd4
# gunzip /hdd3/Documents/hdimage-full.tgz
# gtar vxpf /hdd3/Documents/hdimage-full.tar
# cd hdd1
# mv * ..
# cd ..
# rm -r hdd1
# gtar vxpf root/.var_default.tar
# gtar vxpf root/.home_default.tar
# gtar vxpf root/.dev_default.tar
4.各種カスタマイズ
展開したファイルの修正もしくは作成をして、各種のカスタマイズをおこないます。
以下の項目を実行します。
■ファイルのコピー
/etc/pointercalをQtopia環境からコピーします。
# cp /etc/pointercal /hdd4/etc
■rootユーザーのプロファイルの作成
/hdd4/home/root/.profileを以下の内容で作成します。
. /etc/profile
■swapファイルの作成
swapファイルを作成し、起動時に有効化するようにします。
以下のコマンドでswapファイルを作成します。
/hdd4/swapfileの名前で作成しておくと、起動時に自動でswaponしてくれます。
# cd /hdd4
# dd if=/dev/zero of=/hdd4/swapfile bs=512 count=131072
# mkswap /hdd4/swapfile
■/proc/deviceinfo/productの不具合対応
デュアルブート環境の場合、/proc/deviceinfo/productからモデル名を取得することができません。
以下の3つのファイルはモデル名によって処理を分岐しているので、SL-C3200用の処理が実行されるように、編集します。
・/hdd4/home/root/.xinitrc(リンク先は/hdd4/usr/bin/mbsession)
6行目あたりの以下の部分を編集します。
(太字部分が修正箇所)
- 中略 -
#MODEL=`cat /proc/deviceinfo/product`
MODEL= SL-C3200
exho “MODEL is $MODEL”
#test -e /proc/power_key_off && echo “0” >/proc/power_key_off 2>/dev/null
- 中略 -
・/hdd4/usr/bin/cpuoverclock.py
14行目あたりの以下の部分を編集します。
(太字部分が修正箇所)
- 中略 -
#f = open(“/proc/deviceinfo/product”,”r”)
#MODEL = f.read()
#f.close()
#MODEL = MODEL.split();
#MODEL = MODEL[0]
MODEL = “SL-C3200”
#print MODEL
- 中略 -
・/hdd4//usr/X11R6/bin/startx
19行目あたりの以下の部分を編集します。
(太字部分が修正箇所)
- 中略 -
echo Starting X
SUDO=`which sudo`
#MODEL=`cat /proc/deviceinfo/product`
MODEL=SL-C3200
- 中略 -
5.ブートセレクタの設定
QtopaとpdaXii13のデュアル・ブート環境はpivot_rootという仕組みを使用し、rootファイルシステムを変更する方法で実現します。
まずは、ぴろさんのところからダウンロードしたinit.bz2を解凍し、できあがったinitファイルを編集します。
(太字部分が修正箇所)
- 26行目付近 -
BOOT_NO=”1”
echo “Root Filesystem selecter.”
echo
echo “1. Qtopia”
echo “2. pdaXii13 (/dev/hda4)”
# echo “3. Compact Flash”
# echo “4. SD card”
echo
# echo “After 20 seconds, boot Qtopia’s root filesystem”
echo
echo -n “Select :”
read BOOT_NO
- 40行目付近 -
if [ $BOOT_NO = “2” ] ; then # 2. /dev/hda4(hdd4) root filesystem
/bin/mount -t proc none /proc
/bin/mount -t jffs2 -o ro /dev/mtdblock3 /home
- 71行目付近 -
while [ “$IDE1” = “” ] ; do
IDE1=`get_dev_pcmcia_slot 1`
done
/bin/mount -t ext3 -o noatime /dev/${IDE1}4 /hdd4 # mount hdd4 on /new-root
if [ -e /hdd4/sbin/init ] ; then
cd /hdd4
/bin/umount /var
/etc/rc.d/init.d/pcmcia stop >/dev/null 2>&1
- 91行目付近 -
else
/bin/umount /hdd4
/etc/rc.d/init.d/pcmcia stop >/dev/null 2>&1
/bin/umount /var
/bin/umount /home
- 中略 -
編集したinitファイルをコピーします。
initファイルは/hdd3/Documents/initにあるものとします。
# mount -o rw,remount /
# mv /sbin/init /sbin/init.org
# cp /hdd3/Documents/init /sbin
# chmod 775 /sbin/init
また、pivot_rootファイルとchrootファイルをコピーし、/hdd4/old-rootディレクトリを作成します。
pivot_rootはダウンロードしたDual_C760.zipにはいっていますので、解凍してザウルスに転送してください。
ここでは、/hdd3/Documentsにあるものとします。
# cp /hdd3/Documents/pivot_root /sbin
# cp /hdd3/Documents/pivot_root /hdd4/sbin
# cp /sbin/chroot /hdd4/sbin
# mount -o ro,remount /
# mkdir /hdd4/old-root
6.pdaxii13の起動
いよいよpdaXii13を起動します。
ターミナルで以下のコマンドを実行し、再起動します。
# shutdown -r now
再起動後、ブートセレクタが起動して以下の選択画面が表示されます。
Root Filesystem selector.
1. Qtopia
2. pdaXii13 (/dev/hda4)
Select :
ここで2を入力し、Enterを押すとpdaXii13が起動します。
(1を入力するとQtopiaが起動されます)
しばらくすると「Welcome to pdaXii13!!」という雄叫びと共に起動します。
以上でpdaXii13のインストールは完了です。
pdaXromの時よりも簡単に構築できますね。

